Our History
2021
ビジョン2025宣言
(VISION 2025)
アモーレパシフィックは変化する時代に合わせビジョン2025を
宣言しました。「Live Your New Beauty」というスローガンのもと、
すべてのお客様が自分ならではの美しさを発見し、実現する
人生が楽しめる未来を築いていきたいと思います。
2021
ビジョン2025宣言
(VISION 2025)
アモーレパシフィックは変化する時代に合わせビジョン2025を
宣言しました。「Live Your New Beauty」というスローガンのもと、
すべてのお客様が自分ならではの美しさを発見し、実現する
人生が楽しめる未来を築いていきたいと思います。

2021
2030 持続可能経営
5大約束を公開
アモーレパシフィックは「2030 A MORE Beautiful Promise」を公開しました。これは人と世の中を美しくするためにすべての従業員が共に努力と実践を続けるという誓いであり、今後10年間推進していくステークホルダーとの約束です。

2020
理念と原則(ABC Spirit)を宣言
アモーレパシフィックは、「美しさと健康で人類に貢献する」という創業精神を基に、「人を美しく、世の中を美しく(We make A MORE Beautiful world)」という理念と5つの原則を誓いました。

2018
新本社を竣工
アモーレパシフィックは2018年、1956年に事業の基礎を築いた同敷地に創意と疎通を追求する新本社を竣工しました。アモーレパシフィック本社は、新しい美の殿堂となり、美しさで世の中を変える「遠大な企業」というビジョンを達成する重要な求心点の役割を果たしていきます。
2016
韓国業界初
WWD世界トップ100のビューティー企業7位を獲得
アモーレパシフィックは、ファッション·ビューティー専門メディアであるWomen's Wear Daily(WD)が選定する世界100大ビューティー企業に韓国企業の中では初めて7位に選ばれました。

2015
米フォーブス誌、100大革新企業に選定
アモーレパシフィックの自主的な競争力強化への取り組みと持続的なR&D投資が評価され、米国経済誌フォーブスが選定した100大革新企業に選ばれました。


2014
中国生産研究物流統合ハブ
上海ビューティー事業場を竣工
世界的なレベルの生産効率性とGMP(Good Manufacturing Practice)システムの構築、物流拠点の確保を通じて、中国の顧客に「絶対品質」の製品を迅速に提供するために建てられた上海ビューティー事業場は、「中国事業の成長加速化」を効果的に達成するために重点的な役割を果たしていきます。

2013
遠大な企業(Great Brand Company)
2020ビジョン宣言
アモーレパシフィックは、アジアンビューティーで世の中を美しく健康に変化させる真の「遠大な企業」に跳躍したいという意志を強く表明しました。
2013
化粧品に対する不要な
動物実験禁止を宣言
2008年から化粧品原料および完成品について自主的に動物実験を禁止してきたアモーレパシフィックは、協力会社に対しても化粧品に対する新規および追加の動物実験を禁止するという意を伝えました。自然と人、企業の共存を追求する企業として多様な生命を尊重するために化粧品に対する不要な動物実験を禁止し、製品の安全を確保するための代替法研究をより積極的に推進していきます。

2012
統合生産物流基地である烏山ビューティー事業場を竣工
(現アモーレビューティーパーク)
様々な主体が出会う協業の空間であり、購入プロセスをコントロールする管理センターであるアモーレビューティーパークを竣工しました。アモーレビューティーパークは、アモーレパシフィックの核心生産基地であると同時に歴史とビジョンを紹介し、知的資産が集まっている「輝く星」のようなところです。
2010
技術研究院第2研究棟のMizium (美智um)建設
2010年春、新しくオープンしたMiziumは、革新と疎通の先端技術研究院で、未来のための知的疎通と連結が行われる場所です。

2010
韓国化粧品業界初
ダウ·ジョーンズ持続可能経営指数
(DJSI)編入
ダウジョーンズ持続可能経営指数(DJSI:Dow Jones Sustainability Indices)は、企業の持続可能性を評価する評価方法で、企業の価値を財務情報だけでなく、社会的、環境的成果と価値まで考慮して総合的に評価するグローバル評価モデルです。アモーレパシフィックは韓国化粧品業界で初めてダウジョーンズ持続可能経営指数に参加する会社になりました。

2010
アリタウン(美しい)購入開始
アリタウン購入とは、アモーレパシフィックが植物原料を選択し購入する過程で原料安全性、環境保全、地域への社会貢献の3大原則を守ることで顧客と環境、社会に肯定的に寄与する活動です。これは韓国はもちろん、海外でも行われます。今後、アモーレパシフィックは美しい購入を通じて世界の多くの地域と会社の共生に引き続き寄与し、より美しい世界を作り、アジアの美を世界に知らせて行きます。
2009
自然、人、企業の美しい共存を追求する「持続可能経営」ビジョンを宣言
創立64周年記念式で宣言した「持続可能経営」ビジョンは、自然と人間、そしてアモーレパシフィックがうまく調和し共存する美しい世の中を作り、顧客の美と健康の実現という使命を実践することで、「アジアで最も尊敬されるビューティー企業」になるというアモーレパシフィックの誓いです。

2008
初のクッションコスメ、IOPE Air Cushion®をローンチ
アモーレパシフィックは、世界で初めてクッションタイプのコスメをローンチしました。クッションは韓国を越え世界中の女性がハンドバックの中に持ち歩くようになったアモーレパシフィックの代表的な革新製品です。

2008
AP Way宣言(理念、価値、信頼)
アモーレパシフィックのアイデンティティであり、存在の理由を盛り込んだAP Wayを宣言しました。AP Wayは美しさで世の中を変化させるという夢を抱き私たちが歩んできた道であり、今後歩むべき道でもあります。


2008
女性がん患者の自尊心を回復するためのMakeup Your Lifeキャンペーンを開始
アモーレパシフィックは多様な社会貢献活動を通じて顧客に愛され尊敬される企業として社会的責任を果たすために努力しています。Makeup Your Lifeキャンペーンには「女性」の健康とウェルビーイング、力量強化を支援し、女性の人生を美しくすることに寄与しようという気持ちを込めました。女性がん患者が内面の美しさに気づき、人生に対し前向きになれるよう支援するMakeup Your Lifeキャンペーンは、今や韓国を越えグローバルにその領域を広げています。
2007
韓国化粧品業界で初めて国連グローバル・コンパクト(UNGC)に登録
国連グローバル・コンパクト(UNGC)は人権、労働、環境、腐敗防止など、企業の社会的責任(CSR)と関連し制定された10大原則を企業活動の全分野に適用させるために2000年に発足した国連傘下の専門機構です。アモーレパシフィックは。CEOの強い意志を基に、韓国化粧品業界では初めてUNGCに加入し、企業の社会的責任を果たし、持続可能な経営を実践しています。

2006
アモーレパシフィックグループ持株会社体制に移行
アモーレパシフィックは持株会社体制に新しく移行することで、コーポレートガバナンスの透明性を提供し、化粧品、健康事業などコアビジネスにおける力量を強化することで、グローバル化粧品専門企業としての姿をより体系的に整えることになりました。
2006
アジアンビューティークリエイター
(Asian Beauty Creator)宣布
アモーレパシフィックは、韓国を越え全世界を対象に美の領域で革新と創造をリードしていくという意味の企業理念「アジアンビューティークリエイター」を宣言しました。「アジアンビューティークリエイター」の「アジアンビューティー(Asian Beauty)」は、創業者・徐成煥前会長の母親である尹独亭(ユン・ドクジョン)女史が最高品質への思いを込めて作った椿油から伝わったものです。


2003
創業者徐成煥前会長の「美しい世の中基金造成(低所得母子家庭のための”希望店舗”支援)
女性と児童の福祉支援に努めた創業者徐成煥前会長の意志で「美しい世の中基金」が助成されました。この基金で創業を希望する母子家庭の経済的自立をサポートするために創業を支援する「マイクロクレジット(Micro Credit)」事業は現在も活発に進められています。
2002
アモーレパシフィック(Amorepacific)
に社名変更
革新的な製品が次々と発売され、国内外で大きな成長を遂げた会社は、統合的なグローバルコミュニケーションの基盤を構築するため、社名をアモーレパシフィックに変更しました。
2001
韓国初のお茶博物館、雪緑茶ミュージアム
OSULLOC開館(現OSULLOC Tea Museum)
韓国固有の伝統茶文化を復興し、緑茶を栽培するのに恵まれた自然環境である済州島を広く知らせるために済州島の荒れ地を茶畑に開墾したアモーレパシフィック。単にお茶を作るブランドではなく、お茶文化を守り先導するブランドOSULLOCを、お客様がより身近で体験できるよう、済州島にOSULLOCミュージアムを開館しました。
2000
韓国乳房健康財団の設立及び
乳房健康意識向上のための
ピンクリボンキャンペーン実施
アモーレパシフィックは2000年、韓国で初めて乳房健康非営利公益財団である「韓国乳房健康財団」を設立、支援し、乳がんに対する意識を高めました。

2000
innisfreeローンチ
innisfreeは肌に休息を与える島を意味し、きれいな済州の自然の恵みを込めてお客様に健康な美しさをお届けする、韓国を代表する自然主義ビューティーブランドです。innisfreeは自然と肌が一緒に休める空間を提供するために、今日も環境にやさしいグリーンライフを実践しています。

1997
Sulwhasooローンチ
Sulwhasooは、女性の年齢による肌の変化を完璧に理解し、卓越した韓方スキンケアソリューションを再創造しました。Sulwhasooならではの価値を盛り込んだ原料と処方、そして50年以上積み重ねてきた韓方技術力を根幹に、韓国を越え世界の人々に時間の知恵で輝く美しさを提供しています。
1995
ETUDEローンチ
ETUDEは、楽しいメイクごっこ文化を伝えるK-ビューティーを代表するメイクブランドです。ときめく初メイクの瞬間をサポートETUDEは、少女たちのメイクが簡単で楽しい経験になれるよう最高の製品とサービスを提供しています。

1994
Laneigeローンチ
Laneigeは水分を肌の奥までたっぷり浸透させ、透明感あふれる健康で輝く肌を研究してきました。水分と光の調和が作り出す美しさは、Laneigeが追求するLuminous Beautyです。
1993
(株)太平洋に社名を変更
1930 年代、昌盛商店に由来する小さな商店の名前は太平洋商会でした。その後、太平洋化学工業社(1945)、太平洋化学工業株式会社(1959)、太平洋化学株式会社(1987)へと持続的な成長に伴い社名を変え、再跳躍の過程で再度(株)太平洋に社名を変更しました。

1993
無限責任主義宣言
(サービス、品質、環境)
顧客が最も信頼する企業になるという究極的な目標の下、顧客が満足するまで全役職員が限りない責任を負うという「無限責任主義」を対内外に宣言しました。「無限責任主義」とは、顧客が望む高品質の製品を開発、生産後迅速に供給し、顧客が考えられないところまで最上のサービスを提供することを意味します。


1992
経営理念「人類への奉仕、人間に対する尊重、未来の創造」宣言
社会により実質的な貢献をする企業になるという意志の反映と共に美しさと健康を創造し人類に貢献するという意味を込めて、経営理念「人類への奉仕、人間に対する尊重、未来の創造」を宣言しました。
1992
太平洋中央研究所建設
(現技術研究院第1研究棟成鋕館)
地下1階、地上4階の東洋最大規模を誇る研究所を建設しました。1954年、ソウル厚岩洞で韓国初の化粧品研究室としてスタートして以来、常に「失敗を恐れないチャレンジ精神」、「常に最初と最高を追求するクリエイティブ精神」を強調し、研究活動に惜しまず投資を続けてきました。

1991
Mamondeローンチ
「私の人生は私のもの」というモットーでローンチして以来、女性と花、そして美しさについての研究を続けてきたMamondeは、花に込められた自然の知恵を研究し、そこから女性の美しさを見つけます。
1989
世界初の緑茶化粧品Meero (美露、ミーロ)発売
優れた化粧品原料の一つである緑茶フラボノイド(Flavonoid)を応用した世界初の緑茶化粧品Meeroを発売しました。Meeroは、特別な成分と製品名、広告、デザインなどブランドのすべての部分において差別化された製品として認められました。

1982
太平洋福祉財団設立
(現アモーレパシフィック福祉財団)
女性と児童、青少年、障害者、高齢者など社会的弱者の人間らしい暮らしを支援するために設立された太平洋福祉財団は、社会福祉の多様な分野にわたり貢献活動を展開してきました。アモーレパシフィックの社会貢献活動は、時代の流れに応じて変化を重ねながら発展しています。

1979
創業者の徐成煥(ソ·ソンファン)前会長
緑茶事業の公表及び済州緑茶畑の開墾
「目先の大きな利益を得るために始めたのではありません。我が国のお茶文化を蘇らせることが優先です。そして時間は少しかかるでしょうが、後に私たちの事業にも、そして、済州にも大きく役立つことになるでしょう。こんなことを私のような企業家でなければ誰が挑戦しますか。」
- 創業者 徐成煥(ソ·ソンファン)前会長 -
1979
アジア初の化粧品·装身具
博物館である太平洋博物館の開館
(現アモーレパシフィック美術館)
1979年、古代から大韓帝国期までの様々な化粧容器や化粧道具、装身具などを展示する太平洋化粧史館がオープンしました。続いて1981年、韓国の伝統茶文化遺物を展示する太平洋茶芸館をオープンし、現在アモーレパシフィック美術館の前身である太平洋博物館が完成しました。アモーレパシフィックは今も多様な形で韓国の伝統化粧文化、お茶文化の価値とプライドを国内外の人々に広く知らせています。

1973
太平洋奨学文化財団設立
(現アモーレパシフィック財団)
奨学事業、文化事業、伝統女性文化発掘事業の支援を目的に設立された太平洋奨学文化財団は、今日のアモーレパシフィック財団の母体でもあります。アモーレパシフィックの分かち合いはただ見せるためのものではなく、自然と生活の一部として習慣になるという信念で、現在も社会貢献活動に対する認識と深みを増しています。


1971
韓国初のメイクアップキャンペーン
「Oh My Love」を展開
韓国初のメイクアップキャンペーン「Oh My Love」を展開しました。季節、目的、場所に合わせた個性的なルックを提案し、その結果、このキャンペーンは季節行事、年中行事として定着しました。当時、流行を提案する窓口の役割を担っていたメイクアップキャンペーンは、現在までも続いています。
1966
世界初の韓方化粧品
ABC高麗人参クリーム(ABC Ginseng Cream)発売
世界で初めて韓方技術が使われた化粧品であるABC Ginseng Creamを世界に披露しました。ABC Ginseng Creamは、幼い頃住んでいた家が高麗人参畑に囲まれていたことからインスピレーションを受け誕生しました。高麗人参が食材としての研究以外は全く行われなかった時代に、ABC Ginseng Creamは私たちの土地で育つ植物の価値を発見し、美しさを生み出す根気と執念で成し遂げた成果です。

1964
韓国初の化粧品輸出
韓国史上初めてオスカーブランドの化粧品20種余りが輸出されました。その後も輸出による海外市場の開拓に努力し、1984年には「2000万ドル輸出の塔」という目に見える成果も成し遂げました。これは前年比輸出伸び率27%を超える数値であり、韓国化粧品史上では初めての記録でした。

1964
訪問販売専用アモーレ(Amore)ブランドの発売及び訪問販売制度の導入
激変の時代に伝統的な流通構造から脱した第3の流通経路として訪問販売を導入し、専用ブランドであるアモーレ(Amore)を発表しました。当時、大衆の好みと感性を溶かしたアモーレというネーミングと高品質の製品は顧客の心を掴みました。アモーレは、発売後まもなく多様なブランドを率いる訪問販売専用のファミリーブランドとして成長し、ついには会社の代表的なイメージとして定着しました。

1962
韓国最大の化粧品自動化施設、永登浦工場竣工
永登浦工場は当時、韓国内では珍しい最新の自動化施設を備えた大規模な工場でした。乳化機と原料タンク、包装システムが完備された自動化施設でした。当時、様々な困難を乗り越え竣工した永登浦工場を通じて、世界的な化粧品会社に一歩近づくことができました。

1961
韓国初の美容相談室開設
1958年、韓国初の月刊美容情報誌「化粧界」が発行され、それを読んだ女性達からの質問電話が殺到しました。その関心に応えるために美容相談室を公式開設しました。ほとんどの企業は顧客満足よりも生産量の増大に集中していた時代であったため、顧客相談室の開設はかなりの反響を呼びました。


1960
創業者の徐成煥(ソ·ソンファン)前会長
海外化粧品業界を視察
海外優秀化粧品ブランドを視察し、先進化した技術と大規模な自動化工場に接した創業者の徐成煥前会長は、未来へのより大きな夢を抱き始めました。そして、このような夢は韓国最大の化粧品自動化施設である永登浦工場を竣工し、一つずつ現実化させ、現代的意味でのアモーレパシフィックを誕生させる契機になりました。
1958
韓国初の月刊美容情報誌
化粧界創刊
「化粧界」は韓国初の企業刊行物であり美容情報誌です。肌のための基礎手入れから顔型に似合うスタイル、TPOに合わせた化粧法の紹介まで幅広い情報が盛り込まれた刊行物が発刊され、女性はそれまで知ることのできなかった美容情報を手軽に得ることができました。

1958
アジア初、ヨーロッパの最新設備「エアスプーン(Air Spun)」を導入
きめ細やかで柔らかい粉を作れる「エアスプーン(Air Spun)」をアジアで初めて導入しました。重さ4トン、高さ12メートル、出力35馬力のこの巨大な機械を導入するきっかけとなったのは、会社が忙しく厳しかった時期にも従業員の家族まで親見に面倒を見ながら、留学を積極的に奨励した創業者の意志でした。


1954
韓国初の化粧品研究室開設
ソウル厚岩洞工場の2坪余りのスペースに韓国化粧品業界初の研究室を開設しました。世界的な化粧品と競争するためには、より高い技術水準を備えることが優先であり、世界に向けた夢を叶えるためには、どの製品と比べても自信のある優れた品質の製品を作る必要がありました。
1951
韓国初の純植物性ABCポマード発売
従来のポマードに安住せず、より良い品質の製品を作りたいという一念のもと、純植物性ポマードを韓国で初めて発売しました。椿油と同様、植物性原料に着目し絶え間ない実験と努力を重ね、ついにワセリンの代わりにひまし油とウルシの実をつぶして作った木蝋を使用した純植物性製品を発売することができました。
1948
韓国初のブランド品「メロディクリーム」発売。
韓国初のブランド製品であるメロディクリームを発売しました。商標が付いた化粧品を市場に発表するということは、それだけ製品に対して会社が責任を持って販売するという意味であり、誓いでもありました。
1945
太平洋化学工業社創立
原料の需給が容易な南大門に会社を移転し、より広い世界で活躍するという思いを込めて太平洋化学工業社を創立しました。このすべての決心は、「信頼できる原料」で作られた製品をお届けしなければならないという母の教えから始まりました。
1932
尹独亭(創業者である徐成煥前会長の母)
化粧品を製造、販売開始
アモーレパシフィックは、自然と顧客への心から始まりました。当時開城に住んでいた尹独亭女史は、真心を込めた椿の頭油を1本1本直接作って販売しました。
